弱いリヴァーブと立体化するデータベース消費
ゼロアカ世代(と呼ばれる一部の論壇)の議論の対象は、少なからず当初は日本のサブカルであったと考えられる。
それは特に2ちゃんねるやニコニコ動画などであり、そこから生み出される各種の社会現象に対して、社会学的あるいは経済学的な分析や考察を加えたものであった。 その後、2チャンネルやニコニコ動画が(元来の意味で)政治的なイベントとのつながりを強く持ち始め、自然に議論が国政などを対象とすることが多くなってきたと思われる。 一部に、同じ対象を独特の視点(筆者の本業は精神科医)から分析した議論などがあった。
ネットが一般化した後、このころはネットメディアとそれを取り巻く議論が急速に一般化していった時代だ。 玉石混合のネットメディアとそれを否定的に捉える旧来のメディア(主として5大新聞)という構図から、いわゆる「バズる」を肯定的に捉える文脈に、メディアの枠組みそのものを載せ替えるようなネットメディアの誕生があったように思われる。 こう考えると、議論の対象が
- メディアとネットメディア
- ネットを取り巻く社会活動
- ネットメディアと政治
- SNS、ソーシャルネットワーク
などと、議論の対象には事欠かないような気がするし、10年前まだ学生の頃の僕が最も興味のあった分野のような気がする… とはいえ、今回、普段あまり書かない技術以外のことをブログに書こうと思った理由は、
バ美肉おじさん
の登場と、そのまとめ記事である。 mato-liver.com
筆者は、ここ数年のアイカツ、デレマスにおけるアイドルの仮想化と、Youtuber以降でのVtuberの登場は、日本のネットメディアにおける大きなパラダイムシフトであったと考えており、定量的・計量的にこの分野を評価したいと考えている。
そういった意味では、本来書きたかったサブカルの社会学あるいは経済学的な分析を行った、記事あるいは論文を書きたいとは思っている(今回は備忘録としてブログにする)
備忘録にもかかわらず、書いておこうと思った最大の理由に、ワーディングが可能であり、それがゼロアカ世代を引き継ぐ形であったということがある。 ゼロアカの評価された点には、タイトルのキャッチーさや現象を適切に表現できるワーディングは大きな意味を持っていたと言えるであろう。
そして、ゼロアカ世代の代表格であった「データベース消費」の対象とするデータベースの構成要素であった各種モエ要素が、物語の行方から10年以上経過しVtuberによって「立体化したもの」が、バ美肉おじさんであると考えたとき「立体化するデータベース消費」は、意外に当てはまりがいいと考えられること。
youtu.be (05:00 頃)
また、中年男性(おじさん)が、仮想空間で美少女を演じているという多分に倒錯的な状況を参照するに、「弱いつながり」から、捻じれとしての意味で「弱いリヴァーブ」があまりにもこの現象を適切に表現出来ているように思われるからである。(セリフ中にも登場するが、そういった意図は無いようであるが)